正造終焉の地に記念碑を建立する準備を進めています。

【寄付に関して】
お陰様で目標金額に達しましたので、
予定よりは早いのですが、
締め切りとさせていただきます。
皆様、ありがとうございました。(2017年5月11日)

記事:「田中正造翁終焉の地」記念碑除幕式

当大学と渡良瀬川研究会など田中正造関係団体有志で、佐野市船津川町にある正造終焉の地に記念碑を建立する準備を進めています。
この度、「田中正造翁終焉の地」記念碑を建立するための実行委員会(委員長 菅井益郎 渡良瀬川研究会代表)を立ち上げ、団体・個人を問わず一口5000円(上限無く何口でも可)の寄付を募ることになりました。
何卒、皆様のご協力をお願い申し上げます。
この件についてのお問い合わせは、当大学 坂原事務局長 0283-23-2896 まで、ご遠慮なく。

以下、下野新聞社「下野新聞」(3月5日)および「ニュースSOON」掲載の情報を転載させていただきます。

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【以下、ニュースSOONより】

佐野・田中正造終焉の地に記念碑建立へ 30年前のブリキ看板が老朽化、関係団体など寄付募る

【佐野】渡良瀬川研究会や田中正造(たなかしょうぞう)大学など田中正造関係団体と有志は、船津川町にある正造終焉(しゅうえん)の地に記念碑を建立する準備を進めている。

建立は、正造が倒れ療養を始めた8月初旬が目標。田中正造大学の坂原辰男(さかはらたつお)事務局長は「近くには、鉱毒被害民の拠点でもある雲龍寺もある。終焉の地をたくさんの人に知ってほしい」と話している。

正造は1913年8月2日、河川調査から谷中村へ帰る途中、鉱毒被害民である庭田清四郎(にわたせいしろう)宅で倒れた。関係者の懸命な看護を受けたが、約1カ月後の9月4日、同家の8畳間で亡くなった。庭田家では、この部屋を当時のまま保存。同家は2013年9月4日、市文化財史跡に指定された。

現在、終焉の地を案内する目印としては、約30年前に作られたブリキ製の立て看板があるだけ。老朽化が激しく文字も消えかけており、見学者から修繕してほしいとの要望も出ていた。

(問)同大学内、坂原事務局長0283・23・2896。
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