谷中村民の強制移住を考える
1905~6年 最初の移住先訪問の報告をもとに
○ 訪問の企画と成果 - 谷中村の遺跡を守る会会長 高際澄雄
〇 バスツアー記録の上映
〇 報告と解説 (守る会バスツアー委員会)吉村福枝・石井信一・坂原辰男
◆2016年11月6日(日) PM1:30~4:30
◆佐野市城北地区公民館 2階会議室
◆協力:谷中村の遺跡を守る会
◆資料代 500円
【講座の趣旨】
9月25日、谷中村廃村110年記念行事として谷中村の遺跡を守る会主催の「谷中村民の栃木県内の移住先を訪ねる旅」のバスツアーが開催され、栃木県那須烏山市の志鳥(しどり)、さくら市の鹿子畑(かのこはた)、大田原市北金丸(きたかねまる)を訪れました。明治政府は、遊水池化対策として谷中村を買収、廃村にしました。村民たちは県の斡旋・引率により、1905年11月に(現)那須烏山市の志鳥と太田原市北金丸(きたかねまる)へ、1906年に(現)さくら市鹿子畑等の国有地へ移住しました。入村時に先住村民から反対に遭い立往生したり、水がなかったり、栄養失調で子どもが次々に亡くなるなど、まさに辛酸の開拓事業だったようです。今回の講座は、このバスツアーを記録した映像の上映や参加者からの報告を聞き、移住した旧谷中村民の生活の歴史を辿ります。
谷中村民の強制移住とは、いったい何だったのか。2011年の東京電力福島第一原発事故と重なり、日本が直面している諸課題とも関連しています。どうぞ、多くの皆様の参加をお待ちしています。
★ 今回の講座は、講師の都合により上記の内容に変更になりました。