鉱毒被害田(現佐野市髙山町)

洪水被害を調査する田中正造

1841 11・3 田中正造、下野国安蘇郡小中村(現栃木県佐野市小中町)に生まれる。幼名兼三郎。
1877 古河市兵衛、足尾銅山製錬所操業。
1881 足尾銅山、鷹の巣直利発見。84年、横間歩大直利発見。
1890 8 渡良瀬川大洪水、栃木・群馬両県に鉱毒被害発生。
1891 12 田中正造、第2回帝国議会で鉱業停止要求。
1892 この頃、被害農民と古河の示談契約進展。
1893 第1回示談契約完結。
6・30 足尾銅山、粉鉱採集器を設置。3年間をその試験期間とする。
1895 3 被害民と古河市兵衛との間に永久示談契約が進展。
1896 3・25 正造、第9議会において永久示談の不当性を追及。
7~9 渡良瀬川、三たび大洪水。1府5県に鉱毒被害。
10 正造、有志と雲龍寺に群馬栃木両県鉱毒事務所を設置。
1897 3・2 (~3・5)被害民、第1回押出し
3・20 谷干城・津田仙・栗原彦三郎、被害地視察。
3・23 農商務大臣榎本武揚、被害地視察。
3・23 (~3・30)被害民、第2回押出し。
3・24 内閣に足尾銅山鉱毒事件調査委員会設置。
5・27 東京鉱山監督署長、足尾銅山に対して鉱毒予防工事命令。
1898 4・30 大蔵省、被害民に対して地租条例による普通荒地免租処分を通達。該当者は公民権喪失。
6・30 大隈重信内閣発足(10・31崩壊)。
9・6 渡良瀬川大洪水。
9・26 被害民第3回押出し。28日、正造、東京府下南足立郡江村保木間において、総代50名を残して帰村するよう説得。
1899 12・22 鉱毒議会結成。
1900 2・13 未明、被害民第4回押出し、川俣事件発生。
2・14 正造、第14議会において川俣事件に関連して政府を追及。
7・9 川俣事件、前橋地方裁判所の予審終結、51名起訴される。
11・28 正造、川俣事件第15回公判で、検事論告に憤慨してあくびをし、官吏侮辱罪に問われる。
12・22 前橋地方裁判所、川俣事件に判決。被告51名中、有罪29名、無罪22名。検事・被告双方より控訴。
1901 10・13 川俣事件控訴審での、判事、検事、弁護士らによる被害地臨検。
10・23 正造、衆議院議員辞職。
11・29 神田基督教青年会館において鉱毒地救済婦人会発会式(会長・潮田千勢子)。
11・30 古河市兵衛妻タメ、入水自殺。
12・10 正造、議会開院式より帰途の天皇に直訴状を渡そうとしてさえぎられる。麹町警察署にて取り調べ、夕刻釈放。
12・27 東京の知識人・学生ら、1100余名、大挙鉱毒地視察。
1902 内務省、秘密裡に栃木県谷中村、埼玉県利島・川辺両村の遊水池計画推進。
1 利島・川辺両村に遊水池反対運動起こる。
3・17 内閣に鉱毒調査委員会設置。
6・16 あくび事件に有罪確定。正造、巣鴨監獄に服役。
9・28 関東大洪水。
10 埼玉県、利根川火打沼の決壊堤防を放置し、川辺・利島両村の買収を計画。16日、両村民は、自力修復して納税・兵役の義務拒絶を宣言。
12・25 川俣事件再審理公判、宮城控訴院にて控訴棄却・公訴不受理により消滅。
1903 1・25 栃木県会、遊水池化のための谷中村買収案否決。
6・3 政府、鉱毒調査委員会の調査報告書を発表、谷中村遊水池化案浮上。
1904 2・10 日露戦争はじまる。
7・30 正造、谷中村問題に専念するため、以後、同村川鍋岩五郎方に寄留する。
12・10 災害復旧費名の谷中村買収案、栃木県会(秘密会)通過。
1905 3・24 原敬、古河鉱業副社長に就任。
1906 1・7 西園寺内閣成立。内務大臣に原敬。
6・8 正造、栃木県知事白仁武より予戒令を受ける。
7・1 谷中村村長職務管掌鈴木豊三、村会決議を無視して同村を藤岡村に合併。
1907 2・4 (~2・7)足尾銅山暴動事件。
6・29 (~7・5)栃木県、谷中堤内残留民家屋16戸を強制破壊。
7・29 谷中堤内地権者、東京救済会の勧告に従い土地収用補償金額裁決不服訴訟を提起。
1909 9 渡良瀬川改修案、関係4県の県会通過。
1910 5・25 大逆事件、検挙開始。6月1日、幸徳秋水逮捕、翌年死刑執行。
1911 4 谷中村民16戸137人、北海道サロマベツ原野に移住(第1次)。
1913 9・4 田中正造死去。
1917 2 谷中残留民、渡良瀬川改修工事にともなう埋立地に移転。
1937 4 北海道に移住した旧谷中村民、帰郷請願書を栃木県知事に提出。
1947 19・14 (~9・15)カスリン台風により渡良瀬川大洪水。
1956 2 足尾銅山、自溶製錬設備完成。
1958 5・30 足尾の源五郎沢堆積場決壊、水田6000haが鉱毒被害。
8・2 群馬県の三市三郡による渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会(会長・恩田正一)結成。
1968 3・6 経済企画庁、渡良瀬川の流水の水質基準を銅0・06ppmと決定。
1971 12・28 群馬県毛里田地区産出米からカドミウムを検出。
1972 3・31 毛里田同盟会(3代会長・板橋明治)政府の中央公害審査会(のちに総理府公害等調整委員会に改組)に損害賠償を求める調停を申請。
1973 2・28 足尾銅山の採掘中止(閉山)。
1974 5・11 毛里田同盟会と古河、総理府公害等調整委員会による調停成立。損害賠償額15億5000万円。
1983 1・12 毛里田地区で公害防除特別土地改良事業が開始(1999年5月終了)。
1989 渡良瀬第一貯水池完成。91年4月、谷中湖周辺開放。
2011 3・11 東日本大震災直後、源五郎沢堆積場が決壊し、土砂4,000立法メートルが流出する。
2012 7・3 渡良瀬遊水池が「ラムサール条約湿地に登録」される。