田中正造・渡良瀬遊水地ゆかりの人々、旧谷中村強制破壊集落跡を訪れる
2017年4月29日(土・祝)10:00~16:30
集合=藤岡遊水池会館
主催=第46回春のフィールドワーク実行委員会・渡良瀬川研究会

足尾銅山鉱毒事件にはいくつかの大きなポイントがありますが、1907年(明治40)におきた谷中村強制破壊も語り継がれるべき大事件でした。昨年に引き続き今年のフィールドワークは遊水地の南部を対象とし、特に20年ぶりでかつて買収対策事務所となった間明田粂次郎邸跡を訪ねるのが大きな目玉となりました。
この間明田邸で、強制破壊を目前に、谷中村残留民一同、そして田中正造や木下尚江らが涙ながらに語り合ったのです。いまも残る大榎は、それらを何も言わずに見守っていたのでした。
当日は快晴に恵まれたものの、午後からの落雷注意報が出され、急遽、午前中に予定されていた遊水池会館での説明を早めに切り上げ、車に分乗して史跡保全ゾーンへ。谷中村役場跡を振り出しに、膝ほどにも伸びたヨシの原へと踏み出していきました。20年ぶりとなる、大榎との再会の旅でした。

落雷注意報のため早めに切り上げられた遊水池会館での説明

落雷注意報のため早めに切り上げられた遊水池会館での説明

ヨシの新芽の中を行く参加者の列

ヨシの新芽の中を行く参加者の列

土盛りされ小高くなっている水野要作屋敷跡

土盛りされ小高くなっている水野要作屋敷跡

スタッフにより竹が刈り払われた大榎への入口

スタッフにより竹が刈り払われた大榎への入口

大榎との対面に、それはもう大はしゃぎ

大榎との対面に、それはもう大はしゃぎ

暑さのなか、やっと延命院跡にたどり着いた参加者一同

暑さのなか、やっと延命院跡にたどり着いた参加者一同

帰路、樹林のあいだから谷中湖が出現した

帰路、樹林のあいだから谷中湖が出現した