「田中正造翁終焉の地」記念碑除幕式
2017年8月6日(日)10:30~11:30
場所=佐野市船津川町・庭田隆次氏梨販売所
佐野市城北地区公民館
主催=「田中正造翁終焉の地」記念碑建立実行委員会
新聞記事:下野新聞 毎日新聞 上毛新聞
足尾銅山鉱毒事件の闘いの日々を送っていた田中正造は、1913年8月2日、庭田清四郎宅で倒れ、約1か月間、庭田家で闘病生活を送っていましたが、9月4日に逝去しました。
その後、庭田家では正造が闘病生活を送った部屋を当時のまま保存し、時間の許す限り訪れる見学者たちに便宜を図ってくれていますが、2013年には佐野市の文化財史跡に指定されました。
そもそも記念碑建立の発端になったのは、約30年前に渡良瀬川研究会や田中正造大学など研究4団体が作ったトタン板製の立て看板が老朽化したため、関係者の間で新しく作り替えてはどうかと話題になっていたことによります。
そこで今年2月、関係者が記念碑建立実行委員会を設立し、建立基金を募ったところ、目標額の50万円を大幅に上回る協力がありました。
8月6日、関係者約100人が集い、石碑の除幕式が催されました。菅井益郎実行委員長は、「正造は約100年前に亡くなったが、彼が投げかけた問題は現代でも生きている。石碑を目にするたびに、正造を思い出し、学び、考え、行動してほしい」と参加者に熱く訴えました。
午後からは、会場を佐野市吾妻地区公民館に移し、赤上剛氏により「田中正造が終焉の地で訴えたこと」と題する講演会が開かれました。