足尾に緑を育てる会主催フィールドワーク
渡良瀬川流域鉱毒激甚地を歩く(館林・北川辺・板倉など)
日時=2017年10月29日(日)9:00~16:30
集合・解散=館林市役所南面駐車場

雲龍寺・田中正造の墓に手を合わせる参加者たち

足尾に緑を育てる会主催のフィールドワーク、今年は初夏に足尾の小滝・本山地区を訪ねたので、今回は渡良瀬川下流域を探訪しました。渡良瀬川下流域を訪ねるフィールドワークも3回目となりました。

今回はおもに渡良瀬川右岸をたどり、被害農民への大弾圧が起きた川俣事件関連の地(雲龍寺・川俣事件現場跡・記念碑)や、遊水池計画を撤回させた北川辺地区(北川辺霊場・北川辺西小学校正造さんの部屋・増田清三郎家のお堂)を中心に回りました。
なかでも、増田清三郎家で代々守られているお堂は、借金返済を激しく迫る憎悪むき出しの手紙を正造へ何通も送り付けていたことを思うと、その後の正造への敬慕の深さを考えさせられるものとなりました。
また、板倉町の江田常一家の水塚(みつか)は、4~5メートルもの土を盛った上に建てられ、舟が庇に括り付けられていました。たび重なる洪水から自身や家族の生命と財産を守るため、こうした建築物をつくらざるを得なかったのです。日常生活がまさに命がけの戦いだったといえます。
台風の接近が心配されましたが、参加者は熱心に説明に耳を傾けていました。最後は「田中正造翁終焉の地記念碑」が建つ庭田隆次さんのナシ販売所へ立ち寄り、思わぬお土産に参加者一同、満面の笑みがこぼれていました。

明和町川俣付近で第4回押出しは警官・憲兵による弾圧を受けた。世にいう川俣事件である

加須市北川辺町の田中正造霊場は北川辺西小学校校庭に面してある

北川辺西小学校正造さんの部屋では柿沼幸治さんの説明を受けた

正造を自費で祀っている増田清三郎家のお堂

群馬県板倉町の歴史について熱弁をふるう針ヶ谷照夫さん

板倉町・江田常一さん宅に残る水塚は過酷な洪水の歴史を物語っている