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田中正造大学……2019年夏期定期講座
【講師紹介】 福井淳(ふくい あつし)】
1955年、横浜市に生まれる。早稲田大学教育学部卒業。明治大学大学院退学。1984年の自由民権百年第2回早稲田集会以後、安在邦夫先生主宰の研究会にてご指導を受け、今日に至る(現在は自由民権研究会という名称)。専門は日本近代政治史で、特に都市知識人の自由民権運動や憲法構想、足尾鉱毒事件と都市知識人など。1995年から宮内庁書陵部で皇室関係の史料調査や『昭和天皇実録』の編纂に従事し、2012年から大正大学文学部歴史学科教授。鉱毒関係の共編著には、『国立公文書館所蔵影印本足尾鉱毒事件関係資料』全30巻(東大出版会、2009年)がある。昨年12月に安在先生、新井勝紘氏らと全国自由民権研究顕彰連絡協議会(略称は全国みんけん連)を結成し、代表となる。
【講座案内】
田中正造は、東京で1877年に結成された沼間守一(ぬま・もりかず)を社長とする都市知識人の民権結社である嚶鳴社(おうめいしゃ)に参加し、以後、地域の政談演説会の弁士に同社員を招いたり、『栃木新聞』社長・主筆に沼間の腹心である野村本之助を招くなど、関係を深めた。この嚶鳴社は、関東・東北地方を中心に全国に28の支社を展開し、栃木県では1880年に足利に第十九嚶鳴社、佐野に第二十嚶鳴社が結成されている。嚶鳴社は、東京では東京政談演説会を催し、また支社を中心に活発に地方遊説活動を行い、機関紙に『東京横浜毎日新聞』、機関誌に『嚶鳴雑誌』を擁して、全国の民権運動に大きな影響を与えた。その後、嚶鳴社は自由党結成にも尽力し、また独自の政党構想の実現にも動き、この時正造も都市の民権派の一大結集による政党の実現に尽力したが実らず、結局嚶鳴社は立憲改進党に加わり、正造も同党に入党している。こうした、田中正造と嚶鳴社の活動や都市知識人による政党結成との関係を中心に、あらためて正造と自由民権運動について考えてみたい。
両毛線佐野駅より北に約2㎞、駅前(南口)にタクシーあり。
東北自動車道佐野インターより車で約15分。
佐野市堀米町1173
tel 0283-24-5772
問い合せ先 田中正造大学
〒327-0001 栃木県佐野市小中町932-3(坂原辰男)
TEL 0283-23-2896 FAX 0283-55-6877