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1991年は田中正造生誕150年にあたり、渡良瀬川沿岸各地ではさまざまな記念事業が繰り広げられた。田中正造大学もこれらの事業に積極的に協力すると同時に、記念写真絵はがき「第一集 正造、戦いの軌跡」「第二集 蘇る正造思想」、さらに記念となる田中正造カレンダーを発行した。このカレンダーは、谷中村強制破壊の約二カ月前に書かれた「辛酸亦入佳境」を中央に配した二色刷りのもので、以来、現在にいたるまで、正造の歌や日記の一節などを掲載して発行し続けている。正造思想に触れるきっかけとなれば──私たちはそう願っている。[所有者は発行年に該当]
1991年
辛酸亦入佳境
(1907年〈明治40〉9月 嶋田清蔵)
1992年
毒流すわるさやまずば我止まず
渡らせ利根に血を流すとも
(1902年〈明治35〉 雲龍寺歌碑)
1993年
サテサテよの中も腐レハ腐るものニ而今は官も民も
西も東しも皆腐レタルモノゝ/如し 日本ハダメダメニ候
(1897年〈明治30〉3月16日 長谷川展宛書簡)
1994年
世をいといそしりをいみて何かせん
身をすてゝこそたのしかりけり
(1913年〈大正2〉 田中霊祠歌碑)
1995年
大雨に打たれたゝかれ行く牛の
車のわだちあとかたもなし
(1903年〈明治36〉 三田清重蔵)
1996年
飢に泣く民の涙の露ほとも
実のらぬ野辺の秋の夕くれ
(1902年〈明治35〉 茂呂宗太郎蔵)
1997年
降る雪もやミかたなくハつもれかし
ミちはふミ立て蹴立て行くなり
(1903年〈明治36〉1月3日 宮内勇蔵)
1998年
村々のさびしき家の軒下にも
靴音高くみつぎ取り来て
(1908年〈明治41〉3月 庭田隆次蔵)
1999年
教をば/おさな心に/おさむべし/老て我身の/罪に悔るな
一昨日の罪をとよみしを/改めて罪にといたし候
(1906年〈明治39〉5月23日 飯塚栄一蔵)
2000年
公判や気焔万乗無罪なり
霧深し田の中を行くヒコク人
渡せ川秋をあつめてうらみかな
(1901年〈明治34〉2月 日記)
2001年
直訴状
(1901年〈明治34〉12月 個人蔵)
2002年
たゝかわて勝ちほこりたる瑞西を
たとりても見ん戦国の民
(1904年〈明治37〉8月 飯塚栄一蔵)
2003年
水を清めざれハ止ます/水を清めて毒に殺さるゝな
(1903年〈明治36〉2月 日記)
2004年
戦ハ悪事なりけり/世をなべて/むかしの夢と/さとれ我人
(1904年〈明治37〉9月5日 原田定助宛書簡)
2005年
何事もあきれてもの[を]ふ云わぬとも
云わねバならぬ今の 此[あり]さま
(1905年〈明治38〉5月 日記)
2006年
にくまる々 ほどハ沢山にくまれよ
よくにくまる々人ぞ人のなる
(1906年〈明治39〉6月 日記)
2007年
辛酸亦入佳境
(1907年〈明治40〉9月 嶋田稔蔵)
2008年
天の監督を仰がざれバ凡人堕落
国民監督を怠れバ治者盗を為す
(1902年〈明治35〉8月 山﨑秀一郎蔵)
2009年
真の文明ハ山を荒さず川を荒さず
村を破らず人を殺さざるべし
(1912年〈明治45〉6月17日 日記)
2010年
海空を包めるほとのこゝろせよ
富士ひまらやも懐ろの餅
右 世界海陸軍全廃説 正造
(年不詳 佐野市郷土博物館蔵)
2011年
真人無為而多事 正造
(1913年〈大正2〉6月佐野市郷土博物館蔵
2012年
物質上、人工人為の進歩のみを以てせば社会は暗黒なり。
デンキ開けて世見暗夜となれり、
(1913年〈大正2〉7月21日 日記)
2013年
少しだも 人のいのちに害ありて
少しくらいハ よいと云うなよ
(1903年〈明治36〉10月21日 日記)
2014年
百年の悔を子孫に傳ふるなかれ
(1904年〈明治37〉3月15日 檄文)