Views: 674
足尾銅山鉱毒事件に一貫して闘い抜いた田中正造が、その没後、再び脚光を浴びるようになったのは1960年代の後半になってからである。それは戦後の高度経済成長のひずみが公害問題という形で噴出するなかで、「公害の原点」としての足尾銅山鉱毒事件の見直しがされるとともに、鉱毒被害民に寄り添い続けた正造の思想と行動が共感をもって迎えられたことによる。
とりわけ、正造の活動拠点であった渡良瀬川下流域では、1972年に渡良瀬川鉱害シンポジウムが開かれ、その後の正造研究の中核となる渡良瀬川研究会の結成へとつながり、正造思想の捉え返しと運動の継承が始まった。そこでは、「天皇にすがりついた」義人としての正造ではなく、社会運動家としての正造、思想家としての正造の生き方が追求された。
以来、正造に関心を寄せる人たちは増え続けている。その理由は、まさに正造思想の持つ現代性にほかならない。それは、人権や自治の大切さであり、徹底した平和の希求であり、水の思想とも呼ばれる環境保護思想にあらわれている。100年前の正造の警句は、的確に現代をも射抜いているのである。
さらに2011年3月11日の東日本大震災とそれに続く東京電力福島第一原子力発電所の大事故をきっかけに、正造の文明論は大きく注目されるようになったのである。
田中正造大学は、先学の大きな成果を学びつつ、こうしたきわめて現代的な正造の問いかけを共有するものとして、1986年にスタートした。その活動の主軸は、定期講座とフィールドワークである。また、情報発信として、ブックレット「救現(くげん)」「田中正造大学ニュース」を定期的に発行し、さらに「写真絵はがき」「カレンダー」の発行をとおして正造思想の普及に努めている。
学習に際して、実際に現地へ足を運ぶということは大切である。新しい出会いもあるし、発見もある。足尾・松木村跡のハゲ山や、広大な渡良瀬遊水池を初めて見たときの衝撃が、公害問題に取り組むきっかけとなった人もいるだろうし、直訴状を見て田中正造を学び始めた人もいることだろう。必要なのは、そうした機会をとおして、正造の持つ現代性をいかに自分のものとして獲得するかということである。
そうした意味で、この小冊子は、田中正造や足尾銅山鉱毒事件について関心を持ち、これから学んでみようと考えている人たちのために、現地見学を中心にまとめた案内書である。この小冊子がきっかけとなり、正造の思想と行動に迫ってみようと思われるなら、それは私たちにとって、まさに望外の喜びである。
田中正造大学
事務局長 坂 原 辰 男